私は、サステナビリティを意識したゼロウェイストの生活を支持したい。
とはいえみなさんもすでに御存知の通り、私はそこまで突き抜けられる人間ではないので、
全くゴミを出さない暮らし、もしくはノープラスチック生活(ノープラ)は難しいと現在は考える。
しかしこの環境を意識したライフスタイルを支持し、実生活に取り入れるようにしている。
そんな私みたいに、
「少しでも環境を考えて生活したいな」
という方に、サステナビリティ、ゼロウェイスト、エコライフの情報をこの場でシェアするため、アンテナを張り、実践を続ける。
そしてその理想のエコライフを作るには、ミニマリズムの精神で物を減らし、本当に大事な物だけを所有するということが、まずは重要だと考える。
さて、先程から出てきているサステナビリティとはなんぞや。
これは、持続可能性を意味し、
簡単にいうと、
環境・社会・経済のバランスを考え、継続して存在できるシステムや組織の考え方。
つまり、経済のことばかりを考えた、
例えば、燃費が悪いけど、ブランド名と万人受けするデザインで、ある程度安値で売られている車は需要が高いかもしれないが、
資源を枯渇させる原因となり、環境を考えていないため、長期的なビジネスは成り立たない。
様々なサービスや物が溢れ、時代の流れが早い現代の中で、サステナビリティ(持続可能性)を念頭においた経営をしていかなければ、経営は途絶えてしまう。
そういう意味で、現代社会ではこのサステナビリティは重要な見解だ。
そして私の目指すサステナビリティを意識したエコライフとは、
自然という母体の中で、人間の営み(社会・経済)を、
いかに生命の循環に寄り添う形で組み込められるか、それを意識した暮らし方。
ちなみに私は、
小さいころは色んな洋服が欲しくて姉の服まで借りパクしたり、
アイスは俄然スーパーカップという質より量派で、
物欲はある程度あった。
しかし社会人を経て、カナダへ渡り仕事を始めたことで
何かを所有するより、経験にお金をかけたい
と思うようになり、それから物欲というものがどんどん減っていった。
物欲が減っていた私がエコライフに高い関心を持ったのは、
ドイツに来て、あるフランス人との出会いがきっかけです。
彼女の名前はパウリン。
5歳年下のパウリンとの出会いは、ドイツに移住してから働いている職場。
彼女はノルマンディーの小さな町の出身。
隣の家は1キロ先、牧場がたくさんあり、鶏を飼っていて、朝は卵を取りに行くことが子供の頃の日課だった。
きれいなジンジャー色のフワフワカールの髪、
メイクはあまりしないけど、口紅が印象的。
そして洋服はいつも「彼女っぽい」服を着こなしていて、
彼女自身のスタイルがあり、
決して主張しているわけではないが、
芯の強さを感じてかっこいい、私の憧れの存在。
そんなパウリンと、日本を旅することになった。
東京、大阪、奈良、京都、広島、富士山の麓と、メジャーどころを周り、とても充実した旅となった。
初めてのアジア、初めての日本をすごく好きになってくれて、日本人としてとても嬉しかった。
しかし旅の中で、彼女が戸惑う場面がいくつかあった。
- コンビニで袋を暑いものと冷たいもので分けられる時。
- すぐに食べようと思って買ったお菓子のパッケージがたくさんある時。
- プラスチックペットボトルの飲み物を気軽に買うこと。
そう、彼女は日本の過剰梱包や気軽にプラスチックの袋を使う場面を見て、何か思っているように見えた。
そんな時に、昔あるテレビで見た、日本に来ている外国人留学生のスピーチを思い出した。
彼女はたしか、インドからの留学生だったかと思う。
彼女がスピーチで言った言葉で印象的だったのが
「日本では、食べ物を買うと、その食べ物よりも多い量のゴミを出すことになる。」
という言葉。
惣菜のポテトサラダを買った時、プラスチックの容器(本体とフタ)そして彩りを添えるためのプラスチックの葉っぱの飾り。
彼女はポテトサラダを食べる代償に、多くのゴミを生み出してしまった、と。
このスピーチを思い出したので、パウリンに聞いた。
日本の環境問題への関心が、日常生活の中で感じられるかどうか。
彼女は、
言葉もわからないし
自治体がどういう取り組みをしているのかとか、そういうこともまったくわからないからなんとも言いにくいけど…
と前置きをしたのちにこういった。
「いち消費者としてこの社会システムの中に飛び込んだ時、消費者レベルでは環境への関心は低く、さらに、低くなる社会システムだと思った。」
私は、日本生まれ日本育ち、日本が大好きなのだが、まったく彼女に同意だ。
島国である日本、
自国の資源も少ない環境で、
日本人のゴミに対する意識の低さは、
海外、とくにドイツに住み始めてからすごく感じるようになった。
過剰梱包。
プラスチック袋の使用頻度。
100均で買って、壊れたら捨ててまた新しい物を買えば良いという考え方。
先日私が日本に帰国した際、大学生の時は大好きだった某雑貨店に行ったが、商品の多さと消費を促す空気にめまいがして、その場を去った。
日本は、季節ごとに、イベントごとに、商品が開発され、販売されている。
例えば、「この夏限定の○○」など。
パッケージが変更されているだけかもしれないが、
でもその商品が「この夏」に売りきれなかったら、
これらの商品はどこへ行くのか。
東南アジアなどに売られるのか。
つぎつぎと形や文言を変えて製造・販売され、消費者を刺激して購入を促し、売れ残った商品の行く末を考えたら、めまいがしてしまったのだ。
極めつけはペットボトルについているおまけ。
ペットボトルという水分補給が目的の商品に、エンターテイメント性をもたせて、購買率を高めようとするのはわかるのだが、
ほぼほぼあのおまけはゴミになる。
飲み物を買って飲みたいだけなのに、お化粧をしたゴミがついてくる違和感。
そして、私自身も100均の恩恵を受けているし、なくなってほしいとは思わない。
しかし、過剰に100均の物ばかりを買って、
「壊れたら捨てて、また新しいのを買えばいい」
という考え方が、日本人にものすごく刷り込まれていると思う。
私は、もっと多くの日本人に、
ミニマリズムという、物の所有で満足しない生き方、
そしてゴミを減らすことの大切さを理解して生活してほしいと切に願い、
このブログを始めた。
そしてパウリンも大好きで、私も誇りに思う日本独自の宗教観がこれ。
自然崇拝。
自然に神が宿っているという、自然と共に生きる暮らしから生まれた世界観。
なぜ日本人はこれを忘れてしまったのか。
「パワースポット」など、美しい自然への関心度は高いのに、
「ゴミを出す」ことへの意識は低い。
巡り巡って、そのゴミたちや「捨てればいい、買えばいい」の繰り返しが、
美しい自然を汚すことになるのに。
そしてそんな思いの中、とても素敵な情報を見つけた。
音楽家の小林武史さんが、サステナビリティを重視した有機農場を設立し、ツアーなどで一般の人たちが訪れているとのこと。
2010年にスタートしたこの有機農場での日々を過ごす中で、小林さんはこう言います。
「循環していく気持ちよさと、それに包まれる心地よさ。
美味しさも含めて、結局そこに辿り着いた」
物が溢れ、消費社会となった現代で、
人間とは結局、自然に包まれて生まれた生命。
その自然の循環の中に身を置くことは、
DNAレベルで体も心も喜び、
幸福を追求すると最終的に辿り着く場所なのではないかと思っている。
エコライフとは、自然の循環に少し近づけ、それに包まれる気持ちよさを感じながら暮らせるのだろう。
だから私は、ミニマリズムを研究、実践、発信して、同時にゼロウェイストやエコライフについても皆さんとシェアしていきたい。
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